「笑い」の発生メカニズム――「笑いの統一理論」

世の中には人間がどのようにして笑うのかという「笑い」のメカニズムを説明する「笑い」の理論というものがあります。

今回は、私の恩師である木村洋二(関西大学名誉教授)が生前に考案した「笑いの統一理論」というものをご紹介します。

なお、以下の内容は本サイトの記事の中でもかなり難しい部類に入りますし、たとえ理解したとしてもまったく笑えないものですので、読まれる場合はそれなりの準備をお願いいたします。

予期がズレると「笑い」が生じる

人間は身の回りの出来事や物事に対して、必ず自分の「予期」や「予測」というものを行いながら日々の生活を送っています。

この予期とは自分のこれまでの経験から「この出来事はこの先こうなる」と予想することや、あるいは「これはこういうもの」といった記憶も指しています。

もし、この予期や予測がなければ私たち人間は身の回りに起こる出来事や物事に対して常に「次にどうなるか」が分からず不安を抱き続けなければならないため、自分の心身を危険から身を守ったり平穏に保ったりするためにこのようなメカニズムが備わっているのです。

さて、「笑い」は、私たちが常日頃行っているこのような予期や予測がズレることがきっかけとなって発生します。

具体的には、私たち人間は予期や予測がズラされると「驚き」という感情を経験し、それが笑いにつながっていくのです。

このことについて、テレビのリモコンというものを例に挙げて考えてみましょう。

私たちはこのテレビのリモコンについて「ボタンを押すとテレビのスイッチを入れたりチャンネルを変えたりできるもの」として予期・予測、あるいは記憶をしています。

この予期や予測をした状態であなたがテレビの電源を入れようとしてリモコンを手に取り、そのボタンを押したとしましょう。

そうすると、なぜかテレビではなくその隣の壁際にあるエアコンの電源が入ってしまいました。

おそらく、あなたは「あれっ?」と驚くはずですし、手に取ったリモコンをよくよく見直してみると、それはテレビではなくエアコンのリモコンであることを確認すると、「間違えてしまった」という感覚とともに「何をやっているんだ、自分は」と感じて笑ってしまうでしょう。

この例では、テレビのリモコンだと思い込んでいたものが実はエアコンのもので、それが自分の予期・予測とズレてしまったために笑いが生じたという流れになります。

なお、このとき、自分が手にしているものが「これはテレビのリモコンだ」と強く思い込んでいればいるほど、それがズレたときの笑いは大きくなります。

以上のように、「笑い」には、予期という私たち人間におけるある種の思い込みと、それがズレてしまったときの「驚き」が深く関わっているのです。

「驚き」から「笑い」への変換メカニズム

私たち人間の予期・予測とそのズレおよび「驚き」を通じて「笑い」に至る一連のメカニズムを、恩師は「笑いの統一理論」として以下のような一枚の図にまとめています。

この図を用いて、笑いのメカニズムを考えてみましょう。

まず、自分の手に取ったリモコンを「テレビのリモコン」として思い込む過程が、予期・予測をする部分になります。

このとき、自分の中でテレビのリモコンに対する意識が高まり、「これはテレビのリモコンだ」という予期が形成されます(図中のW1の部分)。

次に、手にしたリモコンのスイッチを入れると、なぜか「エアコンのスイッチ」が入ります(図中のt2の部分)。

そうすると、ここで疑問および混乱が生じることになります(図中の?の部分)。

そこで手元のリモコンを見直してみると、それがエアコンのリモコンであることが分かり、ここで自分の感じた疑問が解消されます(図中の!の部分)。

このとき、自分の意識が脳内で外れて「笑い」という身体運動が生じます(図中のt3以降の部分)。

これは、それまで自分が「テレビのリモコンだ」と思い込んだときに立ち上げた予期の強さ(=心的なエネルギー、思い込みの強さ)が、実際にはエアコンのリモコンだったことが判明したことからそこに落差(図中のW1-W2)が生じ、それが余計なものになります。

「笑い」には「アッハッハ」という呼吸運動がともなうのですが、それは肺にたまった空気をできるだけ早く吐き出して新しい酸素を吸入するという身体運動をさせることで脳の活動をいったん強制的にストップさせることを行います。

その後、脳内で生じた混乱や疑問を解消するとともに目の前で生じた新たな現象を受け入れるということを行うのです。

以上のことを簡単にいえば、自分がある出来事に対して思い込んだその意識の強さが見込み違いだったために脳が混乱をきたしてしまい、それをできるだけ早急に修正するために、脳内の活動を一時的に強制ストップさせるために行うものが「笑い」という身体運動だ、ということになります。