研究活動の最終目標――研究論文から読み解く

これまで研究活動の方法についていろいろと解説してきましたが、その最終目標は自分の発見した事実や分析結果を論文として公表することにあります。

これについては、抽象的な話をするよりも具体的な研究論文を見ながら話を進めていく方がイメージがしやすいと思います。

今回は、私が実際に携わった研究内容とその成果をまとめた論文を具体例として挙げ、研究の最終目標をイメージしながら研究活動の内実について考えていくことにしましょう。

日本の4大新聞の報道分析

以下の論文は、2006年に関西大学の社会学部の紀要に掲載されたもので、当時、タイからの留学生であるチャーン・ハンナロン君が提出した修士論文を私と当時の指導教授の木村洋二が加筆・修正したものになります。


日本の4大新聞における皇室報道の比較研究
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この研究のメインテーマは、日本の皇室について日本の各新聞社(朝日・産経・毎日・読売)がどのような形で報道を行ったのかを比較・分析することです。

その背景を説明すると、タイから日本に留学してきたチャーン君は、日本にも皇室があることに非常に親近感を覚えた一方、そのマス・メディアでの扱われ方に疑問を持っていました。

日本と同様、タイには王室が存在していますが、マス・メディア、特に新聞で記事が掲載されるときには1面トップの一番上に掲載されることが当たり前だったのです。

しかし、日本の新聞社で皇室に関する報道をする際にはそうはなっておらず、そこに彼は疑問を抱いたわけです。

この研究は、もともと新聞の見出しについて研究していた私がチャーン君と議論を重ねながら進めていったのですが、新聞紙面では1面トップの部分にその日の一番重要な記事が掲載されます。

このことから、掲載される記事の開始位置、すなわち記事の「開始段の高さ」が王室あるいは皇室に対する「敬意度の高さ」を暗に示しているのではないかという考え方に行き着き、日本の皇室を報道する新聞社の扱う記事の開始段の高さを比較することで、各新聞社の皇室に対する敬意の度合いを明らかにできるのではないかと考えたわけです。

また、皇室に関する報道を行う場合、見出しにその敬意をあらわす用語として「ご発言」や「ご出席」などのように、「ご」という言葉を使用することが決まりとなっています。

私が見出しの研究をしていたこともあり、チャーン君とのさまざまな議論の中で、この見出しに出てくる「ご」という文字の頻度と大きさを比較すれば、各新聞社の敬意のあり方の違いも明らかにすることができるのではないかという着想も出てきました。

このような研究の方向性を模索する中、チャーン君の留学中の2004年に、皇太子殿下が雅子さまの周囲から本人の人格を否定するような発言があったことに言及された、いわゆる「人格否定発言」の出来事が発生し、各新聞社がそのことを報道するということがあったため、これを題材として研究を行ったわけです。

日本には朝日、産経、毎日、読売という主要な新聞社がありますが、そこには各新聞社の出来事や物事に対する捉え方の違いというものが存在し、その背後には各新聞社の思想や立場の違いが関係しています。

一般に、朝日と毎日は左派・革新を標榜する新聞社で、産経と読売は右派・保守の立場の新聞社であるとされています。

これらの新聞社の考え方の違いを皇室報道における記事の扱い方の違いから読み取って明らかにしようとしたものがこの研究の目的になっています。

この結論については、実際に論文を読んでいたければ分かるように、当初の予想どおり各新聞社の皇室に関する記事の開始段を比較すると、産経と読売は高い位置にあることが多く、逆に朝日と毎日はそれが低いところに集中していたことから、それぞれの新聞社の皇室に対する敬意の違いを明らかにすることができたということになります。

分析のためのツールをみずから作る

新聞社にはそれぞれの思想的な違いや立場の違いというものがあることはよく言及されますが、ではそれを具体的にどのようにすれば明らかにできるのかをいろいろと考えて検討・分析することが、このときに行った研究活動の目的でありその内容となります。

この論文の分析や考察をするにあたっては、それまでに存在していなかったさまざまな分析方法や分析ツールを考案・作成しています。

たとえば、各新聞社の紙面における記事の開始位置とその大きさをひと目で分かるようにグラフ化したり、敬意の度合いの違いをあらわすために報道において見出された要素に点数を与えてその比較を行ったりするなど、これらのツールは分析や考察をするために私たちが議論を行いながらみずから作り上げたものになります。

世の中には新聞紙面を分析するため方法や考え方が数多く存在していますが、それらの先行研究を概観してみると、私たちが考案したようなやり方は見当たらず、であるからこそ、自分たちで発見した事実や分析結果を論文としてまとめて公表することの意味が出てくるわけです。

このように、研究というものは、その対象を分析するための仮説を立てたり、それを立証するために必要に応じて分析ツールを考案したりすることを自分で行っていきます。

本サイトでも何度も言及しているように、ここがいわゆる「勉強」と「研究」の違いだといえるでしょう。

今回、ここに例として取り上げた研究というものはあくまでもひとつの例ですが、研究の最終目標となる実際に論文というものはこのようなものになります。

もちろん、研究によってその分析対象や考察する方向性などは変化してきます。

ただ、論文に書かれている内容については、それをどのような構成にしてそこに何を記述していくのかについては、すべて自分で指針を立てつつ適宜選択していくことになります。

研究論文の書き方とその構成の方法などについてはまた改めて取り上げる予定ですが、実際の論文に触れてみることによって研究活動の一端を理解してもらえれば幸いです。

研究活動の面白さ

今回取り上げた論文は私自身がチャーン君とともに行った研究成果をまとめたものですが、今振り返ってみてもテーマや分析方法についてはなかなか面白いものだと改めて感じます。

研究にはいろいろな方向性と表現の方法があり、自分が何を明らかにしたいのかによってどんな分析方法を選択し、その結果が何を意味するのかを自分で考えて選択していく必要があります。

研究というものは最初から正解があるわけではないためそれを自分で見出していく大変さはあるのですが、だからこそ自分の見たいものやそこで発見できたことを自分の語り口で他の人に説明していくことには独特の楽しさや面白さがともなうものだといえるでしょう。