「笑い」と「ユーモア」の違い
「笑い」と「ユーモア」はどちらも似たようなものとして扱われることが多いのですが、この2つは明確に異なっています。
まず、「笑い」は人間が何らかの刺激を受け取った結果として生じる身体的な反応・動作です。
この笑いは「面白さ」だけではなく、「楽しさ」や「嬉しさ」を感じるときにも生じることもあれば、「悲しさ」「恥ずかしさ」を感じてそれをごまかすようにして笑うこともあり、さらには身体に痛みを感じても人間は笑うことがあります。
つまり、人間は自分の身に何も起きていない平穏な状態にいるときに、何らかの身体的あるいは認知的な「ズレ」を認識することで、結果的に「笑い」という行動が生じることがあるのです。
「ユーモア」とは何か?
次に、「ユーモア」はそのような笑いを引き起こすような刺激で、一般的には「おかしみ」そのものを指しています。
このユーモアには、言語的なもの、より正確に言えば「言語的なズレ」に関連するものが多いというのも特徴です。
そのため、あるユーモアで笑ったり楽しんだりするためには、そこで取り上げられたトピックやテーマに関する知識や教養といったものをあらかじめ持っておくことが必要となります。
当然ながら、この知識や教養というものには人によって差がありますので、たとえば同じユーモアに接したとしても、ある人にとってはそれがとても面白くて笑えるけれども、別の人にとっては「それの何が面白いのか?」「どこを笑えば良いのか?」がさっぱり分からないといったことが生じるのです。
このことについて、以下にひとつの具体例を挙げて考えてみましょう。
とあるレストランにイスラム教徒の男が入ってきました。
男は席に着くとビーフカレーを注文しました。
しばらくすると、店員がカレーを持ってきました。
ところが出されたのはビーフカレーではなく、間違えて出されたポークカレーだったのです。
男はポークカレーと気づかずに一口食べると、ギョッとして厨房に向かって叫びました。
「このカレーは何だ!」
「豚肉の味がするぞ!!」
すでにご承知の通り、このユーモアを理解するためには、イスラム教徒は戒律で豚肉を食べることが禁じられていることを知っておく必要があります。
戒律で禁じられているはずの豚肉の味をなぜこのイスラム教徒は知って文句を言っているのか、これがこのショートストーリーのオチになっているわけです。
これらの前提となる知識がある人からすれば、最後のオチの部分が「言語的なズレ」になって笑えますし、そうでない人からすると「どこが面白い部分なのかが分からない」ということになるのです。
このように、ユーモアには「言語的なズレ」をうまく捉えることが求められますが、この言語的なズレに慣れ親しむためには、私たちが普段の生活の中で目にするさまざまな出来事や物事について、いろいろな表現で言いあらわすような習慣を身に着けておく必要があります。
特に、いわゆる「ユーモアのセンスがある」といわれる人は、目の前に広がる出来事や物事に対して私たちが想像するような直截的な言葉でそのまま表現するのではなく、少しズラした言葉で言いあらわすことで、気分的なゆとりを生み出すことを行っています。
あなたも普段からユーモアに積極的に親しみながら笑う姿勢を心がけるだけで、知識や教養を深めることができるのです。