3時間の「笑い」が人生を変えた話
本サイトでご紹介している笑いの理論のひとつ「笑いの統一理論」は、私の大学院時代の恩師である木村洋二(関西大学名誉教授)が考案したものです。
残念ながら恩師は私が大学院に在学中に急逝してしまいましたが、笑いの理論を考えようとしたきっかけとなる出来事を実に楽しそうに語ってくれたことを覚えています。
そのきっかけとは、恩師があるとき3時間も笑い続けたことだったそうです。
山小屋でアヤシイ鍋を突っついていると・・・
恩師の学生時代、何人かの知り合いと連れ立ってとある山に山登りに行ったそうです。
やがて日も暮れてきたことから山小屋で泊まることになりました。
そこで夕食に鍋を作ろうという話になり、仲間と手分けしてその食材になりそうなものを山小屋の近辺から集めてきたそうです。
さて、さまざまな食材を持ち寄って鍋をつつき始めたのですが、1時間、2時間と経つにつれてその場にいる人たちがなぜか笑いはじめてしまい、それが止まらなくなってしまったようなのです。
それからが大変だったようで、何を見ても、何を聞いても面白おかしく思えてしまい、たとえば山小屋にぶらさがっている電球を見てもそれがおかしい、周りの人たちが笑い転げているのを見聞きしても面白く感じられ、笑いを止めようとしてもまったく抑えられない状況になったとのことでした。
恩師の話では、どうやらその鍋の食材の中に「ワライタケ」のようなものが入っていたのではないかとのことで、その場にいる全員が3時間ひたすら笑い続けたそうです。
通常、笑いは楽しい経験だから3時間も笑うならば結構なことだと思われがちですが、恩師によれば本当に死にそうになるぐらい苦しかったようで、文字通り腹がよじれるくらい笑い続けたことから、その後1週間は腹筋が筋肉痛を起こしてしまって日常生活に支障をきたすぐらいにひどい激痛に襲われたとのことでした。
3時間の「笑い」が変えた世界
恩師が学生の時分は日本全国の大学においていわゆる学生運動が広がっていた時代。
恩師みずからも学生運動に身を投じるほど人生や政治のあり方などについていろいろと悩みを抱えていたようで、大声で楽しく笑うなどは知性の低い人びと、いわゆる阿呆のすることであり、それが人生における大切な要素だとはつゆとも考えていなかったようです。
差別や貧困、世の中の理不尽について納得のいかない部分があり、そのような重要なことこそ人間が真面目に考えなければならないものであると感じていたのでしょう。
しかし、山小屋で3時間も続けて笑ったとき、そのような自分の世界のとらえ方がまったく変わってしまったということでした。
恩師本人の言葉を借りれば、「自分はそれまで人生や物事にはずっと何か意味があると考えそれを探し求めて生きてきたが、実際にあれだけ笑ってみると、あらゆるものに意味はなく、しかし、それらは充分に愉快であることを知った」のだそうです。
「笑い」は自分の物事に対する「思い込み」に対して一時的にストップをかけてくれるという重要な役割を果たしてくれます。
たとえば、真面目であることはとても良いこととして思われていますが、真面目が過ぎると自分の思い込みから身動きが取れなくなり、心身の不調をきたすぐらいに病んでいってしまうということも、場合によってはありうるのです。
恩師はみずからの実体験からこのような「笑い」のもつはたらきを実感し、そこから人間にとっての「笑い」の意味とそれを解明するための理論を真剣に考え始めたということです。
その後、人間の「面白い」「おかしい」と感じた反応が腹の部分(横隔膜)にあらわれることを知り、そこから「横隔膜式笑い測定機」の着想に至ったというのですから、それこそ本当に笑える話ではないでしょうか。
恩師の実体験を元にした「笑いの統一理論」と「笑い測定機」については、それぞれ「笑い」の発生メカニズム――「笑いの統一理論」のページと「笑い」の測定機――「アッハ・メーター」のページをご覧ください。