同じタイミングの「笑い」が共感を生む理由
あなたは誰かと何か同じものを見聞きしていて同じタイミングで笑ったときに、その人と通じ合ったような感覚を抱いた経験はないでしょうか。
逆に、自分と誰かとの笑いのタイミングが違っていて、「この人とは何だか感覚が合わないような気がする」と感じたことはないでしょうか。
なぜ、一緒に「笑う」「笑わない」で、このような感覚の違いが出てくるのでしょうか。
それは「笑い」が私たち人間の感じる物事や出来事に対する「リアリティ」(=存在感や実感)というものと深く関係しているからなのです。
あなたの感じているリアリティは実は曖昧
そもそも、私たち人間は自分で思っているほど目の前で起こっている出来事や物事を絶対的なものとして認識することができていません。
たとえば、あなたの目の前に「赤いポスト」があるとしましょう。
あなたはそのポストの色を「赤い」と認識するはずですが、それはあくまでもあなたの思い込みにしか過ぎないのです。
どういうことかというと、たとえあなたがそのポストをいくら「赤い」と感じていても、もし、あなたの周囲の人の誰に聞いても「いや、そのポストの色は青いよ」と言われたとすると、自分が感じた「赤い」という考えにはゆらぎが生じてきます。
さらに、それが何度も続いていくと、やがて「もしかして赤いと感じている自分の感覚が変なのではないか」「自分は間違っているのではないか」という風に感じてくるのです。
この周囲の人の感覚の積み重ねや集合体がいわゆる「常識」というもので、そこから自分が外れてしまうことはあなたに不安な気持ちを与えてしまうのです。
逆に、あなたが感じた「赤い」に対して周囲の人が「そのポストの色は確かに赤い」と認めれくれれば、あなたは「このポストの色は赤い」として安心して実感することができます。
このように、自分が感じたものに対する実感=「リアリティ」というものは、実はあなたが思い込んだものに対して周りの人が同じようにそれを「そうだ、その通りだ」と認めることによってはじめて、あなた自身の中で実感として確定するというメカニズムがあるのです。
「笑い」には周囲の人からの承認は必要ない
しかし、「笑い」にはこの図式が当てはまりません。
私たち人間が笑うときには、「これは面白いから笑おう」とか「これはつまらないから笑わないでおこう」などのように自分の意思で選択して行っているわけではありません。
たとえば、あなたが何かの出来事や物事を見聞きして笑ったとしましょう。
そのときの笑いは、あなたが自分で「笑おう」と意識して考えてから行ったものではないはずです。
振り返って考えてみれば、「気づいたら自分が勝手に笑っていた」というのが正直なところでしょう。
このように、人間にとっての「笑い」とは、自分の思考や判断が入る前にすでに行われてしまうものであり、無意識で反射的な行動なのです。
さらにここで重要なことは、あなたが見聞きして笑った出来事や物事は間違いなく自分が「面白い」と感じたものであり、そこに自分以外の周囲の人の感覚や承認は必要ないということです。
つまり、あなたの「笑う/笑わない」には、自分が笑った出来事や物事に対するあなただけの本当に正直な価値判断があらわれており、周りの人がどのように判断しようと関係なく、あなたの感じた「面白い」はそれだけで自分にとってのリアリティが充足・確定してしまうのです。
それどころか、「笑い」はあなたが気づく前にすでに行われているため、笑いがあなたに与えるリアリティはあなた自身の承認さえも必要としていないといえるでしょう。
好みの違う「笑い」が一致するとき
よく言われることですが、笑いの好みは人によって千差万別、本当にバラバラです。
それは私たち人間が日々接している出来事や物事に対してその前提となる知識や受け取り方がすべて違っていることが原因です。
つまり、私たち人間の感覚はもともと人によって別々であることに加え、さらに「笑い」で自分が感じる面白さのリアリティに関してはそもそも周囲の人の承認を必要としていないことから、笑いの好みについては最初から本質的な意味で共通性やつながりなどがないのが前提となっているのです。
さて、もし、このように人間と人間が本当にバラバラな状態で、ある人とある人との笑いのタイミングが一致したとすると、どのように感じられるでしょうか。
「笑い」は目の前の出来事や物事に対して自分が「面白い」と感じたということを無意識のうちに判断しています。
あなたと誰かが同じタイミングで笑ったということは、お互いの無意識の部分で自分とその人が同様の感じ方や考え方をしたということをあらわしています。
つまり、もともと人間は別々で感じ方もバラバラな状況であるにもかかわらず、それが一致した状況をお互いが同時に経験することによって、そこに本質的な意味での共感やつながりといった感覚を生み出すのです。
また、「笑い」というもともと周囲の人の承認を必要としていない自分の行動に対して、周囲の人から笑いという同様の形で承認されたために、あなたの感じた面白さのリアリティは通常以上に充足・確定するということになるのです。
私たち人間が日常生活の中で同じタイミングで笑うことは別段珍しくもないことと思われがちですが、以上のように考えてみるとそれはほとんど奇跡に近いことであり、だからこそ私たち人間同士がつながった感覚を私たちに与えてくれるのです。